父
今日だけはいいだろうか
今日はとてもつらい気持ちになってしまい
この気持ちをどこかへ箱の中にでもしまって押し入れの天袋の奥に置いておきたい。
だって父の事を最近毎日のように思うのだ。
私は幼い頃から集団でいるのが特に苦手で、人前で話をしない子どもだった。小学校高学年位まで人の顔色ばかり気にして言葉を発する事が怖かった。
人間が苦手と思うようになったきっかけは父が少なからず関係していると思う。
ずっと家族に不満だらけで、高校生になると早く家を出たいそればかり思っていた。
同じ年頃の女の子たちが皆もっている様な好きな文房具、洋服は当たり前の様に買って貰えなかった。
遊びに行っても門限に間に合わないとものすごく叱られた。テレビの主導権はいつも父にあったし、小さい頃から見たいアニメなどを見るのに苦労した。機嫌を損ねないように、または父が怒りだすと恐ろしく大変な事になるので何事もあきらめることがうまくなった。
お泊まり会や特別な事は許して貰えず、思春期になるにつれ友達は少なくなった。子ども心に理不尽だなと思う事で話を聞いて貰えず殴られたこともあった。
家は親が厳しい父が怖い 友達からみてもそれが私のイメージのひとつだったと思う。
母は父によっぽどの事がなければ反論や意見しても聞いて貰えない、時には暴言を吐かれるようなそんな夫婦関係だった。
それでもできる限りの事は父なりにしてくれたのではないか?同じ親として許せない事もあるが、大変だったことは理解できるかもしれない。
子どもという生き物は好きな人なので楽しかった記憶も少ないがある。むしろ自分流の愛情を強く注ぎすぎたあまりにああなったのかもしれないなと大人になり、母になり、子どもを育ててみて思えるようになった。
何よりも自分の感情が先にきてしまう人なのだ。父も育った家庭環境は複雑だったのがその性格の背景にある気がする。
子どもは1人の人格があり意思があり個性があるという事を忘れてはいけない。1人の人間として人格は尊重しなければならない。親の思う通りには成長しないのだ。親の思い通りにならないからといって暴言や力で押さえつけてはいけない。
今となっては反面教師になり、辛いと感じた日々も巡りめぐって無駄にはなっていないのかもしれない。
療養病棟に入院している父
まだ遠くにいかないで欲しい
なにもできず悲しい
もっと娘に会って成長をみていてほしい
娘をお風呂に入れている時に思い出す
水面に浮かべたタオルに空気を入るように閉じ込めてそれを手や頬でぷしゅっとつぶして遊んでくれた事
膝にのせてくれた事
しばらく繋がらなかった電話が繋がり、今日はもう辛いからまた電話をかけなおすと言っていたかすれた声